人は突きつけられた事実が自分にとって辛かったり、信じられないことだったりすると、思わず目を逸らしてしまうことがある。例えば返却されたテストが予想より低い時。その解答用紙は見たくないし、テストの話なんかしたくなくなる。また、苦手な水泳の授業がある日は大雨が降って中止にならないかなどと思案を巡らす。
おそらく多くの人が持っている感情だとは思うが、この本を繰り返し読み、読書感想文を書こうとした時も、無性に逃げだしたくなった。ページをめくればめくるほど心の中にじっとりとした重い空気がたまっていくからだ。
1945年8月6日、午前8時15分、広島へ原子爆弾が投下された。ついさっきまで生きていた命のほとんどが消えていった。人の命は言うまでもないが、犬が猫が魚が鳥が虫が花が木が、生きていたあらゆる生物達が、一瞬にして、命を刈り取られた。この本は、教科書に掲載された歴史上の話ではなく、色や匂い、形のある紛れもない事実であり、回避することの出来ない現実であったことを私に突きつけてくる。このまま目を背け続けて良いのかと語りかけてくる。
十三年しか生きていない私に出来ることは、逃げだしたい感情から遁走せず向き合うことだ。それは教科書の事実だけで満足するのではなく、その時のことを知ろうとすること。忘れないこと。本の中に出てくる「夾竹桃」のように風化されないよう伝えていくこと。
ニュースを見ること。実際に原爆ドームを訪れてみること。そして、これらを恥ずかしがらずに行なうこと。私には正直勇気がいることだが、これらを行う事が失った命に対する弔いへの第一歩であり、平和へと進んでいく道なのであろう。
語り継ぐこと。それは、日本に生まれてきた私の役目の一つなのかもしれない。今年の夏、私の目に夾竹桃はどう映るのだろうか。
宮城 | 仙台市立 蒲町中学校 | 中2 | 感想文 | 桜庭 詩菜 |