奈良 | 斑鳩町立 斑鳩西小学校 | 6 | 希望 | 宮井 唯菜 |
奈良 | 清風南海中学校 | 中3 | 夾竹桃満開 | 松尾 美咲 |
小さくても大きい言葉
ぼくは、夾竹桃物語を読んで、小さくても大きな力をもつ言葉について考えました。
一つ目は、「死ぬ」という言葉です。ぼくは、「死ぬ」や「殺す」という言葉がきらいです。なぜなら、その言葉を聞くと涙が出そうな位悲しい気持ちになるからです。「死」と「殺」という漢字を学校で習うと知った時はショックでした。生き物は必ずいつかは死んでしまいます。この物語の中では、原子ばくだんで、たくさんの人や動物・植物が、生きたいのに死んでいきます。「死ぬ」という言葉は、人や生き物を悲しい気持ちにさせるので、かんたんに使ってはいけないと思いました。
二つ目は、「水をくれ。」と「助けて!」という必死の言葉です。動くことの出来ない夾竹桃は、犬が通りすぎてしまった時、とても悲しかったと思います。でも、犬の耳には夾竹桃の声がちゃんと届いていました。犬は、自分の命を夾竹桃のために使って、大じな根っこを守ってあげました。それはとてもすごいことです。小さくても必死の声や言葉は、たくさんあると思います。そうした声をちゃんと聞いて、みんなに届けられる人間になりたいです。
三つ目は、一番の名場面の「忘れていてごめんね……」という言葉です。「忘れていてごめんね」という小さな声から、大きなきぼうが生まれたのです。この場面は、「さん歩」の曲のイメージでした。それは、どんなに悲しい時も元気になれる歌です。一寸の虫にも五分のたましいと言うように、小さな命や小さな植物も、忘れないで見てあげたら喜ぶと思います。
大切な物や大切な人のことは忘れません。ですから、どんなに小さな命もどんなに小さな言葉も、忘れないために、大切にしていきたいです。
東京 | 学校法人国立学園 国立学園小学校 | 3 | 感想文 | 島根 理行 |
戦争に対する考え
私はこの物語を読んだ時に、たくさんの命を一瞬にして奪ってしまった原子爆弾の恐ろしさ、そして原子爆弾によってどれだけの生き物が悲しい思いをしたか、ということを次の世代に伝えていかなければならない、と思いました。原子爆弾の恐ろしさを身をもって体験した方達は高齢化し、次の世代に被爆体験を伝えることが難しくなっています。生き物達の計り知れない命を奪っていったこの原子爆弾の恐ろしさを知らない人は、キョウチクトウの「助けて」という声も聞こえない人になってしまうのではないか、と思います。
ただ、見えないだけで、キョウチクトウのように「助けて」と言っている人は、世界中に大勢いるのです。今でも戦争で苦しむ人間や生き物はたくさんいます。争っている人達に直接「戦争はやめよう」と言うことは難しいですが、戦争によってどれだけの人が悲しく、辛い思いをするのか、またそのような思いをするのは人間だけでなく、動物、植物、鳥、魚など、たくさんの生き物たちも同じです。このようなことを、私達が、戦争の恐ろしさを知らない次の世代に伝えていくことが大切だと思います。
私は小学生の時に、一度だけ原爆資料館に行ったことがあります。その時はただ「たくさんの人が亡くなったんだ。」くらいの感想しか抱きませんでした。でも、この夾竹桃の物語を読んだ時はもっと深い考えになりました。原子爆弾によって悲しい思いをしたのは人間だけではない、ということにも気づかされました。このお話を読んで、戦争に対する意識が深くなったような気がします。世界中の人がそのような考えを持つことは難しいです。しかし、これから生まれてくる人たちがそのような考えを持つことができれば、多くの人がキョウチクトウの「助けて」に気づけるような人になれると思います。
私達にできることは次の世代に伝えていくこと、だと思います。争いのない、平和な世界になってほしいです。
広島 | AICJ中学・高等学校 | 中1 | 感想文 | 立畠 華里奈 |