広島認定こども園 牛田新町光明保育園年長絵画平元 晴

あたり前

 ぼくがきょうちくとうものがたりをよんで考えたことは、『あたり前』です。
 とくにお金もちでもないけどびんぼうでもない、そんな人が言う『ゆめのよう』は、たとえば『おいしいものをたくさんたべる』や『たくさんあそぶ』なんかでしょう。
 でも、本当にたいへんな時、いきるかしぬかのたいへんな時は、少しのいいことでも、
 『ゆめのよう』にかんじるんだと思います。
 きょうちくとうものがたりできょうちくとうが言ったゆめのようは、このたいへんな時のゆめのようだと思いました。
 つまりお金もちでもないしびんぼうでもない人はあたりまえのように水をのんだりつかったりしていますが、きょうちくとうのようにあつくてでもにげれなくて、もうだめだ。
と思ったときには、犬が体をふるわせた時のすこしの水でも、ゆめのようにかんじるんだと思います。
 きっとあたりまえじゃないたいへんなときはふつうは小さく小さくかんじることもすごくすごくいいことにかんじるんだと思います。
 ぼくはきょうちくとうものがたりをよんで思ったのはこんなことです。
 そして、もうこのたいへんな時がこないといいと思いました。
 だからへいわをねがってできることをすべてしてへいわにくらしたいです。
 たとえばどんな生き物を大切にすることです。

東京国立学園小学校3感想文森 瑛輔